病気を抱えながら司法試験予備試験を目指してみる。第1回

ブログを始めるにあたって

私は、偏差値45の私立大学の法学部に通う大学生である。2年間浪人し、今の大学に入学した。

なぜ2浪もしたかというと、持病があるからである。

私が持つ主な病気は、脳脊髄液減少症と呼ばれるものであるが、それに、高次脳機能障害肝機能障害も抱えている。

特に受験勉強の敵となったのは、座っていられないぐらいの倦怠感(脳脊髄液減少症、肝機能障害)と、どんなに考えても理解できない脳みそ・本を読もうとしたら文字がバラバラに頭の中に溢れかえってまったく文章が読めない脳みそ・30分ほどしたら何も考えることができなくなる脳みそ(高次脳機能障害)である。

今は、随分とましになり、一般的な受験生並みに勉強できていると思う。

 

これから何回かにわたり、ボロボロの状態からどのようにして現状まで回復させたか、気を確かに保つ方法、その他予備試験に合格するべくどのような勉強をしているかを記していこうと思う。

 

少しでも、病気を抱える人、同じ偏差値帯で頑張ろうと思っている人の力になれば嬉しい限りである。

 

 

 

 

高次脳機能障害になると

高次脳機能障害になるということは、失礼かもしれないが、認知症の患者さんとほぼ同じ状態になるということである。

私の症状?をざっとまとめると以下のようになろうか。

  • 何回も同じ話をする。
  • 5分前のことを一切思い出せない。
  • 古い記憶はあるが、新しいことは覚えることができない。
  • 何回言われても理解できない。
  • 文章を読もうとしたら、文字がバラバラに降り注ぐ。
  • 30分経てば必ず思考停止する。
  • やる気がでない。

そして、母曰く、

  • 怒りっぽくなった。
  • 物事に固執する。
  • 固執するものの、先が見通せずなにもできない。

 

今では、上記の症状は、まったくない、もしくは軽減された。

 

高次脳機能障害と向き合う

嘘だろう。」これが、当時の率直な想いだった。到底、信じれないし、受け入れることもできなかった。

 

みなさんは、どうだろうか。自分が、ついこの間までできていたことができなくなったとしたら、素直に受け入れることができるだろうか。

高次脳機能障害に限らず)病気になった人が、一番最初にぶち当たる壁。そう、それは、自分と向き合い、病気を受け入れることである。

 

この受け入れるという作業において重要な要素は、外的要因と、内的要因に別けられる。

 

外的要因

外的要因において、一番重要なのは、周りの存在である。

 

ただ、注意してほしい。ここで必要なのは、病気だからといってすべてを許してくれる人ではなく、ダメな部分は注意しつつ、見守ってくれる人である。

 

私もそうであったが、病気になると、

病気があるから仕方がない。自分はもう辛い思いを散々してきたんだから、助けてもらって当たり前。

という思考になりがちである。

しかし、忘れてはいけない。人にもさまざまな事情がある。ハンデを背負いながらも社会の中で生き抜いていくには、基本的には自立しなければならない。

 

病気になったあと、幸いにして、見守りつつ助けつつ怒ってくれる人が周りにいた。

これは、私にとって大きな存在であり、今でもとても感謝している。

 

内的要因

内的要因において、一番重要なのは、気にしないことである。

 

もともと私は完璧主義に近い人であった。そうはいいつつ、ずぼらな部分もあった。

自分の中では完璧にしているつもりで、自分の中では完璧を目指しているつもりで、でも実際は完璧どころか、最悪なものになる。勉強でもなんでも。

 

このとき、完璧にできない自分は生きている価値がない。と思ってはいけない。

そういわれても難しいよ、と言う人もいるかもしれない。

 

それでも、「しかたない、病気だから。」そう思って欲しい。

 

外的要因で書いたことと矛盾していると思う方もいるかもしれない。

 

外的要因での話は、最初から人に頼り、人に投げるのはダメだ。ただそれだけなのである。

今ここで書いていることは、自らの力でそれを成し遂げようと、自分が今できる最大限の努力をしたのなら、自分を責める必要はない。ということである。

 

病気の場合、どうがんばってもひとりではどうにもできないことがある。そんなことをフューチャーして悲観にくれるより、そこまで頑張れたことを進歩と捉えよう。

人よりできてない?いいじゃないか。ハンデを抱えながら、そこまでやったんだ。

 

昨日の夜には思い出せなかったその日食べた朝ごはん。

今日の夜には、今日食べた朝ごはんを思い出せた。

 

進歩だと思わないか?

 

病気の人も、(そうでない人も、)ただ小さなステップでよい、それをできた自分を褒めてあげよう。

 

そして、今の自分ができる最大限の努力をしたのなら、あとはずぼらでいこう。

 

高次脳機能障害の治療で有名な先生から言われたことである。

君のそのずぼらな部分があってよかった。と。

完璧主義な部分だけだったら、とっくにこの世にはいないだろう。と。

 

人と比べてどうかではなく、昨日の自分より成長できていたら、それでよし!である。

 

第1回目の終わりに。

今回は、この辺で終わりにしようと思う。次回は、実際にどのようなリハビリをしたか、を書く予定である。もし、こんなことが知りたいとかあれば、あるのか?まあいいや、あれば、自由にコメントしてほしいと思う。

はじめてブログを書いたため、あまりにも脈絡のないものになっているかもしれない。

とにかく、頑張って書ききってみようと思う。そこから清書するなりしよう。

 

ここまでよんでくださった方には感謝しかない。逆に申し訳ない気持ちである。

 

次回もお楽しみに。